miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220418越中国一宮雄山(おやま)神社

越中国一宮 雄山(おやま)神社です。越中国に4社ある一宮の内の一つです。ご神体は立山。富士山・白山と並ぶ日本三大霊山の一つです。3000mの立山山頂に建つのが「峰本社」、そして麓にある「中宮祈願所」、「前立社壇」の3社一帯で「雄山神社」とされています。3社とも富山県中新川郡立山町にあります。主祭神は伊邪那岐神と天手力雄神。この二神を立山大神と称します。神仏習合が強い山岳信仰です。
社伝によると、西暦701年に越中国の国司の息子「佐伯有頼」が白鷹とクロクマに導かれ、霊峰立山にたどり着き開山したと伝わります。
立山の冬は長く雪深い為、「峰本社」への登拝が難しい為、年中祭祀ができる様に、「中宮祈願所」、「前立社壇」が設置されたそうです。今回はこの2社に参拝しました。「中宮祈願所」は立山信仰の中心地で、開山堂や有頼のお墓があります。昔、女人禁制の立山信仰において、立ち入る事が出来た最終地でもありました。「前立社壇」は平安初期に建立された立山寺を前身とする神仏習合の施設。武将や公家からの信仰も篤く古来より「立山権現」への献上品は「前立社壇」に奉納されたそうです。立山信仰の入口にあるため、本殿の両脇に鳥居と神門が山側・麓側各々あります。本殿は北陸最大の規模(間口五間)を誇ります。
特に「中宮祈願所」において平然とした神社色は感じず、山の修験の霊場への畏怖からなのか古来からの仏寺色を残してきたんだと感じました。また中宮祈願所において寄進者の氏名がほとんどが「佐伯」一部「志鷹」性に限られているのを見て、「山の神」と「山の民」、「山の民」と「山の民」との関係の濃密さと、「立山」への信仰の深さを感じた参拝となりました。
御朱印を頂いた時に「中宮祈願所」の宮司からも勧められた「峰本社」への登拝。次回の参拝は季節を吟味し体調を整え、立山を登りたいと思います。
山麓の立山町には5世紀半ばに築造された県内最大の円墳稚児塚古墳があります。ヤマト王権の影響を受けながら東国とも独自の交流をしていた県東部の有力者が被葬されていると伝わります。
 
「前立社壇」の鳥居と富山地方鉄道不二越大滝線。

 
「前立社壇」の鳥居。鳥居右には日本屈指の急流の「常願寺川」。降水量の多い地域であることから、流域では昔から水害に悩ませてきた暴れ川。約3,000mの標高差に対し、川の延長は僅か56kmという、世界でも屈指の急流河川である。

 
「前立社壇」社号標

 
「前立社壇」参道

 
「前立社壇」表神門 奥に東神門が見えています。両方の神門の間に社殿があります。

 
「前立社壇」 奥に東神門が見えます。左前に社殿があります。

 
「前立社壇」 拝殿です。

 
「前立社壇」 本殿です。間口5間の本殿は北陸最大と言われる。源頼朝、佐々成政らの有力者によって手を掛けられてきた。明治39年に国の重要文化財に指定。

 
「前立社壇」 御朱印です

 
中宮祈願殿 鳥居

 
中宮祈願殿 巨木の中を通る参道

 
中宮祈願殿 祈願殿(拝殿)江戸時代までは大講堂と呼ばれていた建物

 
中宮祈願殿 祈願殿(拝殿) 雄山大神を始めとする立山山中36社の神が合祀されているとの事

 
中宮祈願殿 西本殿(立山大宮) 主祭神 立山権現伊弉那岐大神、相殿 文武天皇、佐伯宿祢有若公(有頼の父で越中国の国司)が祀られています。

 
中宮祈願殿 東本殿(立山若宮) 主祭神 神刀尾天神(天手力雄命)・相殿 稲背入彦命が祀られています。稲背入彦命がなぜ祀られているのかはわかりませんでした。

 
中宮祈願所 寄進者の氏名がほとんどが「佐伯」「志鷹」性に限られている。「山の神」と「山の民」、「山の民」と「山の民」との関係の濃密さと、「立山」への信仰の深さを感じました。

 
中宮祈願所 御朱印です。宮司と少し歓談できました。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 富山県中新川郡立山町域内に3社
主祭神 伊邪那岐神
天手力雄神
神体 立山(神体山)
社格等 式内社(小)
越中国一宮
旧国幣小社
別表神社
創建 (伝)大宝元年(701年)


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