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全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220621福岡県田川郡 英彦山神宮

福岡県田川郡 英彦山(ひこさん)神宮です。英彦山は古代より神体山として信仰されていたとみられております。主祭神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命です。天之忍穂耳命は天照大神の子。日子山(ひこさん・太陽神の子の山)に天之忍穂耳命が降臨したと伝わります。山の三峰に天之忍穂耳命、伊弉諾、伊邪那美を祀り、古来九州随一の霊山として信仰されてきました。
別の伝承では継体天皇25年の531年に、この山に入った中国北魏の僧が山中で修行していた日田の猟師の藤原恒に仏教の教えを説いて弟子とし、寺を開いたのがこの霊場のはじまりとされています。
早くから神仏習合が行われ、英彦山はヤマトの大峯山、出羽の羽黒山と並ぶ日本三大修験道場の一角として興隆。皇族を座主として最盛期を迎え、3000人の僧侶を抱えて、戦国大名を脅かす存在に成長したと云われます。現在の宮司も座主となった皇族のご子孫です。
明治の神仏分離令により修験道は壊滅的打撃をうけました。九州彦山山伏の本山であった霊仙寺を廃し「英彦山神社」に改称されました。1975年、天皇の勅許により神宮号を取得し、現在の「英彦山神宮」に改称されております。奉斎殿はもともと霊仙寺の大講堂で1616年に再建。明治40年に国の重要文化財に指定されました。
 
銅鳥居 1637年佐賀藩主鍋島勝茂の寄進 昭和14年国の重要文化財に指定。享保14年(1729年)、霊元法皇より、天下に抜きん出た霊山であるとして「英」の字が授けられ、「英彦山」と称するようになった。霊元天皇の勅願の題字が扁額に使われています。

 
参道途中に石鳥居

 
ひたすらまっすぐに石の参道が続きます。

 
参道の脇には多くの坊舎跡があります。ひたすらまっすぐにまだまだ石段の参道が続きます。

 
奉斎殿です。1616年細川忠興により再建されました。元の英彦山霊仙寺大講堂です。明治40年に国の重要文化財に指定。

 
奉斎殿右の鳥居を上がると英彦山頂上のご本社(上宮)、中津宮(中宮)、下津宮(下宮)に参拝できます。上宮までは2時間ほどとお聞きしました。この石鳥居は菩薩界から行者界をわける結界とされ上部の産霊神社木鳥居までが弥勒菩薩の修行する浄土とされました。菩薩界には49の修行窟が配置され英彦山の山伏は大変厳しい修行をされたとの事です。

 
奉斎殿に掲げられている英彦山神宮の扁額です。

 
奉斎殿です。

 
天之水分神(龍神)です。修行者が入峰するとき必ず水筒に入れ飲用とお守りにしました。現在もご神水として参拝者が持ち帰るそうです。

 
奉斎殿から見えた下津宮(下宮)です。当日雨がひどかったのでこれ以上の参拝登山はやめにしました。

 
御朱印です。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 福岡県田川郡添田町英彦山1
位置 北緯33度28分40.60秒 東経130度55分34.40秒座標: 北緯33度28分40.60秒 東経130度55分34.40秒
主祭神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
神体 英彦山(神体山)
社格等 旧官幣中社
別表神社
創建 (伝)継体天皇25年(531年?)
別名 彦山権現
例祭 9月28日
主な神事 松柱神事(1月1日)
御田祭(3月15日)
神幸大祭(4月第2土曜日とその翌日)


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