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全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220729但馬国一宮 粟鹿(あわが)神社

但馬国一宮(または二宮)の 粟鹿(あわが)神社です。名神大社です。天空の城竹田城跡のある兵庫県の朝来市に鎮座します。室町時代の『大日本国一宮記』では粟鹿神社を一宮に挙げられております。現在は粟鹿神社は但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟されています。創建は不詳です。
粟鹿神社の社家に伝わる古文書「粟鹿大明神元記」によると主祭神は大国主の子の「天美佐利命」。垂仁天皇時代に荒ぶる天美佐利命神を鎮めるために、三輪山神官の大彦速命が朝廷に申し出て天美佐利命を神社の背後の粟鹿山に鎮座したのが創祀と伝わります。
主祭神はあと二柱。古事記では旦波国(丹波国)に遣わされ玖賀耳之御笠を討った「日子坐王」。日本書記では自身の子の丹波道主命が四道将軍の一人として丹波に派遣されたとおります。そして山幸彦の「日子穂穂手見尊(山幸彦)」となります。
本殿裏には小丘があり、神社側は日子坐王の墓と伝えております。古墳調査は行われておりません。
 このエリアは但馬・丹波・播磨三国の国境地帯。現在も「京阪神地区や丹波地方・播磨地方」から「但馬地方・山陰地方」に至る交通の要衝地。主祭神・神社の由来には古来要衝地を支配していた豪族や、後にそこに影響力を増したヤマト政権等の勢力をめぐる史実の積み重ねが反映されているのではと感じた参拝となりました。
 
粟鹿神社は山あい平野に静かに鎮座されています。左側に神社があります。

 
鳥居です。

 
参道です。手前が勅使門、奥が隋神門です。

勅使門です。

 
隋神門です。

 
手水舎です。

 
拝殿です。

 
拝殿・本殿となります。その奥の山を神社側では「御陵」・「神墓」・「御塚」として日子坐王の墓と伝えております。(神社由緒より)

 
本殿です。1880年の造営です。

 
大変静かな境内でした。

 
夫婦杉です。

 
「抱き茗荷」という社紋の御朱印です。但馬一宮とあります。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152
位置 北緯35度18分2.90秒 東経134度54分17.35秒座標: 北緯35度18分2.90秒 東経134度54分17.35秒
主祭神 天美佐利命
日子坐王
社格等 式内社(名神大)
但馬国一宮または二宮
旧県社
創建 不詳
本殿の様式 流造
例祭 10月17日


メモ 143