miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220901備後国一宮吉備津神社

後国一宮吉備津神社です。広島県福山市新市町宮内に鎮座します。806年に吉備津神社(備中国一宮)より勧請して創建されたと云われます。
主祭神 大吉備津彦命です。四代将軍と称され山陽道を平定したと伝わります。本殿に向かって右側には相殿神で大日本根子彦太瓊命( 第7代孝霊天皇で大吉備津彦命の父)と細比売命( 孝霊天皇皇后 生母ではありません))向かって左側には稚武吉備津彦命( 大吉備津彦命の弟。兄とともに吉備の平定に携わったとされる)が祀られています。吉備国は分割され、芦田川の恵みにより福山に備後国国府が置かれ、一宮が創建されました。備後には8000もの古墳があるとの事。出雲を警戒したヤマト王権が非常に重視していたことを感じさせます。
拝殿は現在修復中でした。初代福山藩主水野勝成公により1648年再建された国指定重要文化財の本殿は最近修復が完了したばかり。大変美しい本殿でした。本殿の扁額には「虎睡山」とあり、お寺の山号みたいだなと思いました。参拝者が直接拝礼できる本殿は日吉大社他珍しく、拝殿工事中でしたが、さみしい気持ちになりませんでした。境内全体に仏閣のテイストを感じ神仏混合の色彩が濃厚だなと感じました。
地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」と称され篤く信仰されているのは、本殿におられる神様に直接拝礼できるその距離感も大きいなと感じた参拝となりました。
 
大鳥居です。

 
下随神門です。18世紀中頃の再建。

 
本堂に向かう参道に左の丘に桃太郎の像がありました。

 
上随神門 神楽殿の前にあります。社伝によると、10月の神無月には全国の神が出雲に集まるが、ここの大吉備津彦命のみが欠席した。そこで出雲から2人の使者が吉備津神社へ派遣されたが、2人は歓待を受けそのまま吉備津神社の親衛の門守として仕えることとなった。そのため上下の随神門が作られたとされる。(ウィキペデイア参照)

 
拝殿前の神楽殿です。1673年の造営。

 
拝殿は修復中でした。

 
本殿です。初代福山藩主水野勝成公により1648年再建された国指定重要文化財の本殿は最近修復されたばかり。大変美しい本殿でした。

 
大規模な本殿です。

 
本殿の扁額には「虎睡山」とありお寺の山号みたいだなと思いました。参拝者が直接拝礼できる本殿は日吉神社他珍しいです。境内全体に仏閣のテイストを感じ神仏混合の色彩が濃厚だなと感じました。

 
摂社 十二神社 奥社。祭神は大吉備津彦命の一族12柱と大名持神です。

 
その十二神社参道には2種類の「干支」と呼ばれる動物の像が並んでいました。

 
その像の奥に桃太郎の像もありました。

 
御朱印です。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 広島県福山市新市町宮内400
位置 北緯34度34分9.61秒 東経133度16分15.85秒座標: 北緯34度34分9.61秒 東経133度16分15.85秒
主祭神 大吉備津彦命
社格等 備後国一宮
旧国幣小社
別表神社
創建 (伝)大同元年(806年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 11月23日前後


メモ 253