miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220901備後国一宮(称)素盞嗚(すさのお)神社

素盞嗚(すさのお)神社です。「全国一の宮会」に加盟して、備後国一宮と称されています。広島県福山市新市町に鎮座します。式内社です。主祭神は素盞嗚尊。妃である稲田姫命(くしなだひめ)、主祭神の御子神である八王子(やはしらのみこ)が配祀されています。7世紀天武天皇の治世に創祀し、9世紀末から10世紀の醍醐天皇の治世に再建されたと云われます。神仏習合によって仏教系の神である牛頭天王を祭神とする時期もありましたが、明治の神仏分離により、祭神は本来の素盞嗚尊に改めたとあります。
備後國風土記・逸文にある「疫隈國社」とは、素盞嗚神社の本殿のことではなく、現境内摂社である「蘇民神社・疱瘡神社」とされます。ここに現在最古の蘇民将来伝説が伝わっています。ここ疫隈國社より播州明石浦→姫路の広峯神社→北白川東光寺→祇園感神寺(現八坂神社)へと祇園信仰が伝播したと社伝にあります。祇園信仰への理解の為にも、まだ参拝したことのない広峯神社や八坂神社への参拝をしたいと思いました。
素盞嗚神社祇園祭りの最終日に、神輿が倉に納められると、近くの備後一宮「吉備津神社」の宮司・禰宜が参拝します。一切無言で奉幣に続き三々九度の杯を交わす神事を行うとの事。備中国吉備津神社の分霊を、素盞嗚神社の領地に造営したことへの「挨拶」が昔にあり、それが現在「無言の神事」という形で残っているそうです。
なにか「福山エリアの歴史の重みと深さ」を感じた参拝となりました。
 
 
鳥居です。

 
隋神門です。

 
境内の様子

 
神楽殿です。祇園祭後に3基の神輿がここに納められるとの事

 
拝殿です。

 
本殿です。備後福山藩の初代藩主水野勝成の再建。建物の平面はほぼ正方形です。

 
摂社 向かった左が蘇民神社、右が疱瘡神社。長屋のような作りです。
本殿の南側に長屋式で建つ。備後國風土記・逸文の「疫隈國社」とは、素盞嗚神社の本殿のことではなく、現摂社である「蘇民神社・疱瘡神社」であるとされます。神社敷地は、素盞嗚尊に滅ぼされた蘇民将来の弟巨旦将来の屋敷跡と伝わります。
 

 
16世紀末~17世紀頭城門。戦国期の城山(標高199メートル)に築かれていた方城から山城から移設されます。日本でも最古級とされる山城の城門。境内東側面にあります。立ち上がり、尻上がりで縁起のいい狛犬が置かれています。

 
御朱印です。式内、一宮、疫隈宮・蘇民神社とあります。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 広島県福山市新市町大字戸手1-1
位置 北緯34度33分9.66秒 東経133度16分45.67秒座標: 北緯34度33分9.66秒 東経133度16分45.67秒
主祭神 素盞嗚尊
社格等 式内社(小)
(称)備後国一宮
旧県社
創建 (伝)天武天皇年間(673年 - 686年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 7月15日(祇園祭)


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