miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220416那谷寺(石川県小松市)

那谷寺です。石川県小松市那谷町にあります。717年泰澄により開創されました。白山の神を信仰し、洞窟の中に千手観音がまつられています。 洞窟は母親の胎内とみたて 新たに生まれ変わり、罪が浄められる「胎内くぐり」の聖地とされてきました。平安時代那谷寺に改名されました。中世には一向一揆により衰退し荒廃。江戸時代三代藩主前田利常公がそれをを嘆き、再興されました。現在は7棟の国重要文化財を保有します。
加賀は白山信仰と結びついた密教系寺院が多い地域です。白山修験は熊野修験と二分する勢力でしたが明治の廃仏毀釈で記録がなくなり謎が多いとされます。
そうした中、那谷寺は古くから白山を遥拝し、神祀りの霊地であった流れを汲む古代寺院で「自然こそ神仏」との信仰を今に伝えております。広い境内には奇岩が集まった岩窟や霊石などがあり、山水画のような美しい景色が広がる。「自然こそ神仏」の信仰が紡いできた境内の美しさに魅了された参拝となりました。
 
御柱大鳥居 神仏習合の白山信仰の重要寺院

 
「自生山」の額が掲げられた山門の扉には、向かって右側に口を開けた阿形、左側に口を閉じた吽形の仁王像がそれぞれ彫られ、邪気を祓っています。

 
境内のMAP 大きな境内です。

 
金堂華王殿 十一面千手観世音菩薩をお祀りする金堂は、平成2年(1990年)の再建で鎌倉時代の和様建築様式、総桧造りです。南北朝の戦火で消失以来、650年ぶりに再建です。京佛師・松久宗琳師作の十一面千手観音は木曽檜の寄せ木つくりで7.8m、金堂の中で厳かに鎮座されています。

 
山門をくぐり抜けると、数百年を経た杉椿の樹林に囲まれ、江戸期に寄進された石灯篭が並ぶ静謐な参道が真っすぐに伸びています。

 
鐘楼 内部に吊るされている鐘は、朝鮮招来のものと伝えられています。 国の重要文化財。

 
護摩堂 重要文化財。

 
那谷寺の庚申さんとして昔から親しまれています。現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰(民間信仰)や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。

 
奇岩遊仙境 そそり立つ奇岩霊石に、いくつもの窟が開口して観音浄土浮陀落山を思わせます。昔は海底噴火の跡であったと伝えられ、永い年月の間、風と波に洗われて現在の奇岩が形成されました。

 
大悲閣 白山信仰の重要な位置にある本殿
一向一揆の兵乱で荒廃しましたが、前田利常公の庇護により寛永19年(1642年)に再建されました。本殿は「大悲閣」と呼ばれ、岩壁に寄って屋根を造らず唐木造、向拝、柿葺となり、四方の欄間に山上善右衛門作の透かし彫りが施されています。重要文化財。

 
境内奥の池

 
三重塔 寛永19年(1642年)、徳川家綱の生誕祝に前田利常が建立したものと伝えられています。重要文化財。

 
三重塔内には胎蔵界大日如来を安置しています。昔の修験者は大日如来をまつりました。元は那谷寺根本堂の本尊でしたが南北朝の戦乱で建物が焼かれた際、白山宗徒の手により火中から運び出されました。

 
御朱印です。芭蕉の句「石山の 石より白し 秋の風」

 
以下ウィキペディアより抜粋
 
所在地 石川県小松市那谷町ユ122
位置 北緯36度18分48.27秒 東経136度25分13.41秒座標: 北緯36度18分48.27秒 東経136度25分13.41秒
山号 自生山
宗派 高野山真言宗
寺格 別格本山
本尊 千手観世音菩薩
創建年 (伝)養老元年(717年)
開基 (伝)泰澄
札所等 北陸三十三ヵ所観音霊場 第12番
北陸白寿観音霊場 第11番
文化財 本堂、書院及び庫裏、三重塔、護摩堂、鐘楼(重要文化財)
庫裡庭園(名勝)ほか
 
メモ 279