miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20230210伊予国一宮 大山祇神社

伊予国一宮大山祇神社です。愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座します。創建は594年と伝わります。瀬戸内海の中心、芸予諸島最大の大三島にあり全国にある三島神社・大山祇神社の総本社です。主祭神は大山積神です。本社に祀られています。その脇の上津社に上津姫神また大雷神(おおいかづちのかみ)、下津社に下津姫神また高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。また本殿横の神水の井戸には「水波能売神(みつはのめのかみ)」が祀られています。山の主神の脇を水の姫神達が固めております。本社(山神)・上津社(水神)・下津社(水神)の三社をもって大山積神社と崇めまつる信仰となり今日に及んでいると云います。
大山積神は古事記・日本書記には山神として、伊予国風土記逸文には海神としての記載があります。昔からの地神で、神社が瀬戸内海の要所に位置することなどから海神兼備の山神の神社とされてきました。日本民族の総氏神として古来より日本総鎮守の社号が掲げられております。御神体は島内最高峰436.5mの鷲ヶ頭山。古くは「神野山」と呼ばれました。境内奥にある岩肌が見える山です。
社伝では神武天皇の東征に先駆けて四国に入った大山祇の子孫小千命(乎千命、おちのみこと)がこの島に勧請したと伝わります。その際に植えたご神木おちのみことお手植えの楠が樹齢2600年。息を止めて3周すると願いが叶うと云います。
瀬戸内海の三島水軍の守護神として、朝廷・武家からの信仰篤く、多くの武具が奉納されております。武具を中心に国宝8点、国の重要文化財682点保有し一般公開されております。国宝・国の重要文化財の指定を受けた国内の武具8割がここ大山祇神社に集まっております。1427年再建された本殿、拝殿は共に国の重要文化財です。
芸予諸島を舞台とした古代から中世にかけてのいろいろな制海権をめぐる熾烈な戦の積み重ねに対して、鷲ヶ頭山とその麓の大山祇神社は何かしらどっしりと構えていると感じました。日本総鎮守の社号の意味がうっすらと実感できた参拝となりました。
 
鳥居です。昭和8年建立

 
総門です。2010年約700年ぶりに再建されました。

 
総門にある「日本総鎮守 大山積明神」の扁額です。

 
乎千命御手植の楠 社伝では神武天皇の東征に先駆けて四国に入った大山祇の子孫小千命(乎千命、おちのみこと)がこの島に勧請したと伝わります。その際に植えたご神木乎千命御手植の楠の樹齢は2600年。息を止めて3周すると願いが叶うと云います。

 
神門  2016年再建されました。

 
拝殿 1427年再建によるもの。国の重要文化財です。

 
本殿です。拝殿と同じく1427年に再建。本殿は鎌倉時代から作られていたと社の資料にあるそうです。中央手前の屋根の下が神水の井戸。「水波能売神」が祀られています。

 
本殿向かって右側にある上津社。上津姫神また大雷神(おおいかづちのかみ)が祀られています。

 
本殿向かって左側にある下津社。下津姫神また高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。

 
宝篋印塔です。境内正面からみて右側に境外にあります。国の重要文化財です。 3基あり、中央の1基は一遍上人の来島を記念して、1318年建立と伝わります。一遍上人は地元河野一族出身。

 
御神体の島内最高峰436.5mの鷲ヶ頭山。古くは「神野山」と呼ばれました。境内奥にある岩肌が見える山です。

 
大山祇神社参拝の帰りに大島にある村上海賊ミュージアムにいきました。海域の分布と瀬戸内海航路の図があり、芸予諸島の戦略的な重要性を改めて感じました。

 
御朱印です。ここにも日本総鎮守とあります。この後松山空港からOUT 。徳島から入って、香川・高知そして最後に愛媛への巡拝の旅が終了しました。4寺・14神社巡りとなりました。

 
以下ウィキペデイアより抜粋
 
所在地 愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
位置 北緯34度14分52.45秒 東経133度0分20.9秒座標: 北緯34度14分52.45秒 東経133度0分20.9秒
主祭神 大山積神
神体 鷲ヶ頭山
社格等 式内社(名神大)
伊予国一宮
旧国幣大社
別表神社
創建 (伝)推古天皇2年(594年)
本殿の様式 三間社流造檜皮葺
別名 日本総鎮守
札所等 江戸時代後期、熱心な遍路が当社に参拝、別当の神宮寺で納経。
例祭 旧暦4月22日
主な神事 赤土拝・福木(1月7日)
お田植え祭(旧暦5月5日)
産須奈大祭(旧暦8月22日)
 
メモ 191