miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20230310奈良県桜井市桜井 等彌(とみ)神社

奈良県桜井市桜井に鎮座します等彌(とみ)神社です。鳥見山(標高245m)の西麓に位置します。山中には磐座が残されています。創建は不詳とされます。
この山は初代神武天皇が霊畤(まつりにわ)と呼ばれるが大和平定と建国を皇祖神や天神に報告した場所と伝わります。我国の建国の聖地と云われます。大嘗会の起源であり、初の舞台ともされております。上津尾社には大日霊貴命、下津尾社右殿には八幡大神(磐余明神、品陀和気命)、下津尾社左殿には春日大神(高皇産霊神、天児屋根命)が祭神として祀られております。
祭神は時代の変化により移行してきたと考えられます。饒速日命が主祭神との説もまります。かつては下津尾社への信仰が中心とされていました。下津尾社左殿には今も物部氏祖神の饒速日命が祀られているとも云われます。その下津尾社の敷地内から1763年に土偶が発見されました。鳥に人間にも見える形状は古代の信仰を伝えるもの。こちらのレプリカを社務所で見させて頂きました。ユーモラスで可愛らしい像でした。社では八咫烏の御神像とされています。
大神神社から南へ3kmにあるこの神社。境内にいると、大神神社エリアとは違う何かしらのんびりとした里の古くからの信仰を感じた参拝となりました。
 
一の鳥居です。伊勢神宮の第六十二回式年遷宮の折りに、内宮の中重鳥居を譲り受けております。中重鳥居とは、外玉垣南御門より内側に立つ鳥居で、このの先へは天皇陛下しか入ることが許されないというほどの鳥居がこの神社に贈られています。

 
鳥見山の西麓の広い境内でした。

 
上津尾社社殿です。大日霊貴命が祀られています。

 
上津尾社本殿です。

 
上津尾社向かって右奥に鳥見山の霊畤(まつりにわ)への道が続きます。次回はお伺いしたいと思います。(往復2km)霊畤は大和平定と建国を皇祖神や天神に報告した場所と伝わります。我国の建国の聖地と云われます。大嘗会の起源であり、初の舞台ともされております。

 
下津尾社拝殿です。

 
下津尾社本殿です。左殿右殿には八幡大神(磐余明神→神武天皇、品陀和気命→応神天皇)、下津尾社左殿には春日大神(高皇産霊神→即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で神武天皇を助けた高倉下の夢に出た神、天児屋根命→中臣家祖神)が祭神として祀られております。
時代の変化により様々な祭神の信仰が積み重なっていると感じました。この左殿には物部氏祖神の饒速日命がは祀られていると云われます。

 
1763年に下津尾社の敷地内から土偶が発見されました。鳥に人間にも見える形状は古代の信仰を伝えております。こちらのレプリカを社務所で見させて頂きました。ユーモラスで可愛らしい像でした。社では八咫烏の御神像とされています。

 
御朱印です。八咫烏の御神像が印象的です。

 
以下ウィキペデイアより抜粋
 
所在地 奈良県桜井市桜井1176
位置 北緯34度30分23.3秒 東経135度51分14.3秒座標: 北緯34度30分23.3秒 東経135度51分14.3秒
主祭神 上津尾社:
大日霊貴命
下津尾社右殿(八幡社):
磐余明神、品陀和気命
下津尾社左殿(春日社):
高皇産霊神、天児屋根命
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 不詳
本殿の様式 一間社流造檜皮葺
別名 能登宮
例祭 5月5日
 
メモ 207