miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220621 肥前国一宮千栗(ちりく)八幡宮

肥前国一宮 千栗(ちりく)八幡宮です。佐賀県三養基郡みやき町に鎮座します。社伝によれば、724年この地の郡司の壬生春成が八幡神の神託を受けて千根(ちこん)の栗が生えている地に社を建てて八幡神を祀ったとされます。「千根(ちこん)」とは「千本」という意味です。主祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后です。930年代に宇佐八幡宮の別宮となったとみられ、以後その五所別宮の一として崇敬を受けてきました。他、大分八幡宮・藤崎八幡宮・鹿児島神宮(大隅八幡宮)・新田神社となります。
3月15日の粥祭が有名です。1か月前に粥をたき、筑前・筑後・肥前・肥後4箇国を表す4つの鉢に分けて神殿に納め、1か月後にお粥祭りの当日に取り出し、かびの出方を見て、五色のかびの生えた方角がその年豊作になる地方であるとするそうです。
この神社にある146段の急峻な石段は柔道金メダリストの古賀稔彦選手が足腰の強化のために上り下りしたとして「栄光の石段」と名付けられています。
その石段を登り振り返ると久留米市内を望めます。麓を流れるこの川が、以前の筑後川。筑後国と肥前国の国境の地なので、中世においても軍事上の拠点・戦乱の地となって来ました。一の鳥居前の道は「のこぎり形町並み」。のこぎりの歯のように、ギザギザに建物が並んでいます。このギザギザは、防御のために先を見通せないようにすると同時に、家の陰から敵を奇襲するための構造との事。山城の要素がこの神社にはあります。
神社展望台からは筑後川をはさんで久留米市内の奥に見える筑後国一宮がある高良山の山並みがよく見えます。肥前国一宮千栗八幡宮は筑後川の国境をはさんで筑後国一宮高良大社と相対・ライバルの位置にある神社なのかもと感じた参拝となりました。
 
一の鳥居 1609年鍋島藩祖・鍋島直茂奉納の石造肥前鳥居

 
参道の坂を振り返ると久留米市内を望めます。麓を流れるこの川が、以前の筑後川。筑後国と肥前国の国境の地なので、中世においても軍事上の拠点・戦乱の地となって来ました。山城の要素がこの神社にはあります。市内の奥に見える山並みは筑後国一宮がある高良山です。筑後川をはさんで国境にて相対の位置にあります。

 
拝殿です。

 
拝殿にある扁額です。

 
本殿です。

 
粥祭で参拝者に「お粥試」の粥を供覧するお粥堂
3月15日の粥祭は「おかゆさん」ともいい、粥を使ってその年の豊作・凶作を占う粥占が行われる。1か月前粥をたき、筑前・筑後・肥前・肥後4箇国を表す4つの鉢に分けて神殿に納めます。1か月後にお粥祭りの当日に取り出し、かびの出方を見て、五色のかびの生えた方角がその年豊作になる地方であるとするそうです。

 
御神木

 
1992年のバルセロナオリンピック金メダリスト柔道の古賀稔彦選手は、この神社にある146段の石段を足腰の強化のために上り下りしてました。現在もスポーツの鍛錬として石段を使ってのトレーニングに励む人達も少なくありません。

 
「栄光の石段」の石碑。参道のふもとにあります。

 
千栗八幡宮の麓、一の鳥居前の道は「のこぎり形町並み」です。この通りはのこぎりの歯のように、ギザギザに建物が並んでいます。このギザギザは、防御のために先を見通せないようにすると同時に、家の陰から敵を奇襲するための構造。街道を西に向かうと、「千栗城」がありました。川をはさんで国境かつそれに寄り添う高台。この地は防衛上の重要エリアでそこに千栗八幡宮があります。

 
御朱印です。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗
位置 北緯33度19分53.1秒 東経130度28分43.4秒座標: 北緯33度19分53.1秒 東経130度28分43.4秒
主祭神 応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
社格等 肥前国一宮
旧国幣小社
別表神社
創建 神亀元年(724年)
本殿の様式 入母屋造
札所等 五所別宮
例祭 9月15日(放生会)
主な神事 粥祭(3月15日)


メモ 90