miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220303 感応寺(鹿児島県出水市)

感応寺です。鹿児島県出水市にあります。薩摩島津氏の始祖・島津忠久公が、鎌倉時代に薩摩に入国した際、薩摩・大隅・日向三州の鎮定の為に創建した鹿児島県で最古の禅寺です。臨済宗の黎明を担った寺として知られます。島津家の初代から五代までの墓・五廟社があり島津家の菩提寺です。
明治政府を主導した鹿児島は明治初期、「神仏分離令」の伴う廃仏毀釈により県の寺院のすべてが完全消滅。僧侶もすべてが還俗となりました。その為県内には仏教由来の国宝・国の重要文化財が一切ないと云われます。感応寺は住職の機転で本尊(県文化財)が守られ、昭和半ばにようやく本堂・鐘楼を回復しました。廃仏毀釈の激烈さを感じさせます。
寺のある野田郷は「外城制度」を色濃く残す地域で、江戸時代一藩一城の原則に対して薩摩藩には特例で13城の外城(出張所)を設けられたその一つです。全国平均で5.7%の武士率に対して薩摩藩武士率の武士率は26.4%。その高い武士率を支える「外城制度」と云われます。
CANON写真サイトの日本人なら一度は訪れたい寺「名刹巡礼 古寺 100選」に選ばれております。薩摩出水のどかな里に武家屋敷が並んでいた場所に鎮座します。鎌倉時代の島津家の初代から5代までの墓所がある寺の静けさ、武家屋敷の整然感、そしてこの地の廃仏毀釈の激烈さの対比が印象的です。一宮の新田神社から少し足を伸ばして、この感応寺にきて、自分今薩摩国に来ていると実感した参拝となりました。
 
野田郷は薩摩武士の里らしい街でした。武家屋敷群として保存されています。

 
仁王像 キャノン日本人なら一度は訪れたい寺「名刹巡礼 古寺 100選」に選ばれた。

 
南国らしい佇まいです。

 
由緒書です。

 
本堂 日本臨済宗の祖、栄西祥師によって1194年(建久5年)に開山された由緒あるお寺でもあります。昭和40年代に再建。

 
本堂内部です。

 
明治時代の廃仏毀釈から感応寺住職の機転で本尊(県文化財)が守られました。本尊十一面千手観世音菩薩と脇立四天王は室町時代の名工院隆の作として昭和38年に鹿児島県文化財に指定されました。一千年の年月に耐え、そして廃仏毀釈から逃れた貴重なものです。

 
島津家の初代から五代までの墓・五廟社があります

 
五廟社です。島津家の初代から五代までの墓です。薩隅日の三州守護職を命じられた薩摩島津氏の始祖・島津忠久公が、薩摩入国に際して三州鎮定の願望を込めて創建した県内最古の禅寺です。

 
御朱印です。本堂に書置きがありました。

 
以下ウィキペディアより抜粋
 
所在地 鹿児島県出水市野田町字下名5735番地
位置 北緯32度4分2.5秒 東経130度16分0.3秒座標: 北緯32度4分2.5秒 東経130度16分0.3秒
山号 鎮國山
宗旨 禅宗(臨済宗)
宗派 相国寺派
正式名 鎭國山感應禪寺
 
メモ 96