miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20211007 東京千代田区神田神社

神田神社です。東京千代田区外神田2丁目に鎮座します。創建は天平2年(730年)と伝わっております。主祭神 大己貴命・少彦名命・平将門命です。
出雲系氏族である真神田臣(まかんだおみ)が祖神の大己貴命(だいこく様)を祀ったことが始まりと伝わっております。平将門命(まさかど様)は首塚の祟りを鎮めるために鎌倉時代に合祀されました。将門公の首を祀る将門塚は東京の大手町にあります。明治7年に明治天皇の行幸にあたり、将門が逆臣であったということで祭神から外されるの受けて、少彦名命(えびす様)を大洗磯前神社から勧請。1984年に平将門命は本社祭神に復帰しました。関東に独立勢力を樹立しようとした姿勢はその後の江戸の庶民にも強く支持されました。
社殿は1934年関東大震災再建の時に全国で初めて鉄骨鉄筋コンクリートによる権現造で建てられました。江戸から東京へ移り変わる中、沢山の災害と戦火を乗り越え、今も深く信仰されております。神田祭の様に明るく元気な江戸っ子らしい粋な神社だなと感じた参拝となりました。
 
鳥居です。
 
隋神門 昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として建立。総檜・入母屋造。
 
昭和9年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。本殿・幣殿・拝殿さらに神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、昭和初期の神社建築では新しい形式をもつ。正面を向いている非常に珍しい狛犬。
 
だいこく様尊像 石造りとしては日本一のだいこく像として建立。
 
獅子山に乗る石獅子は武州下野の名工石切藤兵衛(別名・油売藤兵衛)が生涯でわずか3つしか造らなかったものの中の1つと伝えられ、3つの獅子は「坂東三獅子」として有名であった。能の出し物『石橋(しゃっきょう)』にちなみ、親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とするという内容を造形化したもの。今日では、かわいい我が子に厳しい試練を与えるたとえとして知られている。江戸時代のライオンキング像。
 
「天下祭」として知られる神田祭は、元和年中までは船渡御であったと言われている。延宝年中までは毎年斎行されていたが、山王祭(千代田区・日枝神社)と隔年で斎行することになり、以後今日までに2年に一度斎行されることが恒例となった。 江戸幕府の庇護を受け、江戸城・内曲輪内へ、2基の神輿、36番45本前後の山車や附祭、御雇祭などからなる祭礼行列が練りこみ、徳川将軍や御台所の上覧があったことなどから、江戸の庶民たちからいつからか「天下祭」と称されるようになった。 また、江戸時代を通じて全国的に有名な祭のひとつとして「日本三大祭り」「江戸三大祭り」の中に数えられている。
 
東京スカイツリー。いずれにしても江戸っ子の粋を感じる元気で、そして信仰が息づく神社と感じた
 
書置きでした。左の写真つきはカラー。初めてです。「大明神」だからかな。神田神社御朱印は極めてシンプル。
 
以下ウィキペデイアより抜粋
所在地 東京都千代田区外神田2丁目16番2号[1]
位置 北緯35度42分7.3秒 東経139度46分4.4秒座標: 北緯35度42分7.3秒 東経139度46分4.4秒
主祭神 大己貴命
少彦名命
平将門命
社格等 旧准勅祭社、旧府社、別表神社
創建 伝天平2年(730年)
本殿の様式 入母屋造本瓦型銅板葺
札所等 東京十社
例祭 5月15日頃(神田祭)
 
メモ 158