miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20230208徳島県徳島市二軒屋町 忌部神社

忌部神社です。徳島県徳島市二軒屋町眉山中腹に鎮座します。名神大社後継社です。眉山山頂からは徳島市内をほぼ一望でき、天気の良い日なら淡路島や和歌山県の紀伊山地も望む事ができると云います。本来の中世以降戦災で所在不明となり再興は明治25年となります。阿波忌部の祖神天日鷲命(あめのひわしのみこと)が主祭神です。阿波忌部の祖神とされます。神代に穀木麻椿を植え、製紙・製麻・紡織の諸業を創始されたと日本書記が伝えます。天日鷲神は一般にお酉様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されております。阿波国総鎮守の神社として朝廷が崇敬してきて、昭和天皇が参拝されております。忌部神社は天皇即位の大嘗祭に際して、阿波忌部末裔とされる三木家が育てた麻を元に、この忌部神社の宮司を斎主として神事が行った上で麁服(あらたえ)を調進する神社として知られています。
天日鷲命子孫の阿部忌部は吉野川流域に勢力を展開し、大和王権に木綿・麻布を貢納しました。また倭文・製紙技術も保有していた海洋族でありました。ヤマト王権の中で宮廷の祭祀や祭具製作も担当しています。その祭祀力と多くの技術専門能力がヤマトの拡張戦略と合わせて阿波忌部の文化は熊野・伊勢や今の静岡や長野、房総半島から北関東エリアまで、また元石見・出雲・伯耆・丹後越前まで伝播したと云います。それを伝える神社が今も各地にあります。
阿波は忌部王国で、阿波忌部一族が古代においてはヤマト中枢のみならず日本各地に大きな文化影響を与えたとをひしひし感じた参拝となりました。
 
参道は二つあります。麓の金毘羅神社向かって右からの参道はこわいくらいの急なものでした。向かって左からの参道をおすすめします。

 
参道を登ったところに境内がありました。眉山の中腹で街中にもかかわらず大変静かな空間でした。

 
社殿は明治25年に創建しましたが、1945年戦災により焼失。現在の本殿は1953年再建。昭和天皇が参拝されています。

 
鳥居にありました狛犬です。18世紀のものと伝わります。

 
金毘羅神社向かって左側からの鳥居、参道です。それほど怖くない参道となります。

 
大通りに社号標があります。ここからのアプローチをお勧めします。

 
所在地 徳島県徳島市二軒屋町2丁目48
位置 北緯34度03分37秒 東経134度32分44秒座標: 北緯34度03分37秒 東経134度32分44秒
主祭神 天日鷲命
社格等 式内社(名神大)後継社
旧国幣中社
別表神社
創建 明治25年(1892年)
本殿の様式 流造銅板葺
例祭 10月19日
 
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