miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20210924 下総国一宮 香取神宮

下総国一宮香取神宮です。千葉県香取市香取に鎮座します。創建は神武天皇18年紀元前642年と伝えられ全国有数の古社です。主祭神は経津主大神です。「国家建設の基を開かれ国土開拓の大業を果たされた建国の大功神」とご由緒にあります。香取海内海の入口を挟むように鹿島神宮と対になるように鎮座。古くから朝廷から崇敬の深い神社であり、宮中の四方拝で遥拝されております。黒を基調とした色合いの社殿はぐっと息をのむ美しさ。経津主大神の荒魂を祀る奥の宮と合わせて御神威を強く感じる参拝となりました。
 
鳥居です。田園風景から一変です。
 
由緒書です。経津主は鹽竈神社、上毛の貫前神社でも主祭神です。
 
楼門 本殿同様元禄13年に造営され、昭和58年重要文化財指定されました。
 
社殿です。元禄13年(1700年)徳川幕府の手によって造営され、昭和52年に国の重要文化財として指定されました。屋根は、檜皮葺(ひわだぶき)、黒漆を基調とした色合いに極彩色で彩りを加え、御神威の大きさを感じさせます。黒の神社は珍しい。男前です。
 
経津主大神の荒魂を祀る奥の宮。現在の社殿は昭和48年伊勢神宮御遷宮の折の古材によるものです。
 
古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました─これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。
 
楼門の前にこんな看板が出ていました。日本書記と古事記でのタカミカヅキとフツヌシの記載に違いがある。しかし本家本元はフツヌシ=香取神宮で、それが面白くない鹿島神宮が本当の歴史を新興勢力の藤原氏に有利な様に書き換え大きな業績を横取りされたとの思いがあります。ここに香取神宮と鹿島神宮には実は思いの距離感があると考えます。(→鹿島神宮もご参照ください)
 
和魂の本殿と荒魂の奥の宮の御朱印、そして鹿島神宮と香取神宮で大地震の原因の大鯰を両神で押さえてる要石の御朱印頂戴しました。
一の宮めぐり始めて半年ですが、ここでご朱印帳が一冊終了。これからの神社巡りの為、新規に2冊追加しました。
 
以下ウィキペデイアから抜粋
所在地 千葉県香取市香取1697
位置 北緯35度53分10.03秒 東経140度31分43.27秒座標: 北緯35度53分10.03秒 東経140度31分43.27秒
主祭神 経津主大神
社格等 式内社(名神大)
下総国一宮
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
創建 (伝)初代神武天皇18年 BC642年
本殿の様式 三間社流造
札所等 東国三社
例祭 4月14日
主な神事 式年神幸祭(12年に1度)
御田植祭(4月第1土曜・日曜)
神幸祭(4月15日)
大饗祭(11月30日)
団碁祭(12月7日)
 
メモ 177