miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20210928武蔵国一宮氷川神社

まとめ
武蔵国一宮 氷川神社です。主祭神は須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命です。創立は第5代孝昭天皇の時に創立と伝わっております。第12代景行天皇の時に日本武尊が東日本の鎮定を祈願。第13代成務天皇の時に出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となってお祀りし、善政を敷いたことで神社の格式が高まったと伝わっております。明治天皇が東京に入りすぐの10日目に行幸し、親祭を行っており、武蔵国最古級・最大級で、現在も特別な神社であります。
この神社付近には昔、「見沼」という巨大な沼があり、その沼の神霊を、沿岸にある氷川神社、氷川女體神社(称一宮)、中山神社が祀っていたのではと云われております。この三社は一直線に並び、夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至は東南東の氷川女体神社から昇る配置になっております。
氷川神社の分社は約280社。荒川と多摩川にはさまれた地域に特に多く、その地域の方に篤く信仰されております。横浜港の山下公園にある「氷川丸」という船名は、大宮の氷川神社に由来する事を今回初めて知りました。
氷川神社摂社「門客人神社」・中山神社「荒頸(アラハバキ)社」とも縄文の神様アラハバキが祀られています。この三社との関連を感じさせます。
氷川三社を巡り、見沼の神霊、縄文アラハバキの神様、出雲の神様と古代からの信仰が積み重なる氷川神社の深層に少し触れた気がした参拝となりました。
 
三の鳥居です。
 
由緒書 一宮で主祭神がスサノウなのは珍しいと思います
 
楼門です。 
 
舞殿です。
 
社殿です。主祭神 須佐之男命・奇稲田姫命(ヤマタノオロチの時に助けた姫を奥さんにしております)・大己貴命(大国主の事。日本書記では息子。古事記では6世後の孫)
 
元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として祀られている。このアラハバキ社は氷川神社の地主神である。現在祀られている出雲系の神は、武蔵国造一族とともにこの地に乗り込んできたもので、先住の神がアラハバキとみられる。ここが氷川神社の重要スポット。
現在の御祭神は足摩乳命(あしなづちのみこと)、手摩乳命(てなづちのみこと)稲田姫命の御親神でヤマトオロチ退治の時末娘を救ってくれと頼んだ両親。ここに主客転倒がある。
 
派手さはなく落ち着きのある神社でした。
 
御朱印です。
 
以下ウィキペデイアから抜粋
 
所在地 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目407番地
位置 北緯35度55分0.30秒 東経139度37分47.04秒座標: 北緯35度55分0.30秒 東経139度37分47.04秒
主祭神 須佐之男命
奇稲田姫命
大己貴命
社格等 式内社(名神大)
武蔵国一宮または三宮
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
創建 (伝)第5代孝昭天皇3年
本殿の様式 流造
例祭 8月1日
 
メモ 283