miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220415若狭國一宮若狭彦神社(含若狭姫神社)・若狭神宮寺

若狭國一宮若狭彦神社(上社「若狭彦神社」・下社「若狭姫神社」)とそして奥の院と位置付けられる「若狭神宮寺」です。下社若狭姫神社は古来若狭國二宮の位置づけであったと伝わります。現在は一つの神社に二つの社が一組で若狭國一宮と考えられています。主祭神は、上社若狭彦神社は若狭彦神(=彦火火出見尊)・下社若狭姫神社は若狭彦神(=妻 豊玉姫命)です。皇祖神と関係づけられる前は、若狭彦は、国を巡行し最終的には近くの遠敷川上流に、続いて若狭姫が降臨し国の開拓をしたと伝わります。「水神」または「海神」性質があったと感じさせます。
奥の院と位置付けられる若狭神宮寺は仏殿と社殿が連結し、注連縄が張られ、お経と祝詞を混ぜて唱えられ、拍手も正しい参拝方法との事。古都奈良の東大寺二月堂のお水取りに対して「お水送り」神事を担当。東大寺まで90kmの距離で水脈が東大寺に続いていると信じられております。若狭彦神社、そして若狭神宮寺とで奈良時代から1200年以上その神事が続いております。
神宮寺の由来書に「若狭」は朝鮮語の「ワカソ(往き来)」が、そして「奈良」は朝鮮語の「ナラ(都)」が共になまって当て字されているとあります。
若狭彦神社は日本本来の神仏習合の古態を今に伝える神社・神宮寺である事、そして古来より若狭のエリアは半島大陸からも含めて奈良・京都の都への近道・通リ道にある事をあらためて強く感じさせる参拝となりました。
 
若狭彦神社(上社若狭彦神社) 境内の道です。

 
若狭彦神社(上社)楼門です。江戸時代改築

 
若狭彦神社(上社) 主祭神は彦火火出見尊(山幸彦)が若狭彦神として祀られております。本殿・神門・瑞垣です。江戸時代改築。

 
若狭彦神社(上社)楼門手前の夫婦杉です。

 
若狭姫神社(若狭彦神社下社) 豊玉姫命が若狭姫神として祀られています。
ほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐しております。(御朱印も)

 
若狭姫神社(若狭彦神社下社)随神門・楼門 江戸時代改築

 
若狭姫神社(若狭彦神社下社)神門・瑞垣・本殿そして千年杉です。広葉樹林が太古のイメージを強く感じさせます。

 
若狭姫神社 本殿

 
若狭姫神社(若狭彦神社下社)瑞垣内の神木「千年杉」 

 
若狭姫神社(若狭彦神社下社)舞殿

 
若狭神宮寺 若狭彦神社奥の院と呼ばれる。従来若狭彦神社が行っていた古都奈良の東大寺二月堂のお水取りへの「お水送り」に神事を担当。東大寺まで90kmの距離。水脈が東大寺に続いていると信じられている。奈良時代から1200年以上続く儀式。本殿室町時代に朝倉義景の寄進により再建。重要文化財

 
若狭彦神社(上社)御朱印です。

 
若狭姫神社(若狭彦神社下社)御朱印

 
若狭神宮寺御朱印

 
小浜と云えば「鯖街道」 鯖のしょうゆ漬け焼きで食べました。肉厚でおいしいです。

 
鯖の糠漬け=へしこを使ったお茶漬けでその夜を締めました。 

 

以下ウィキペデイアより抜粋


若狭國一宮=狭彦神社・二宮若狭姫神社


所在地 上社:福井県小浜市龍前28-7
下社:福井県小浜市遠敷65-41
位置 上社:北緯35度27分57.9秒 東経135度46分42.5秒
下社:北緯35度28分44.1秒 東経135度46分48.3秒
主祭神 上社:彦火火出見尊
下社:豊玉姫命
社格等 式内社(名神大2座)
若狭国一宮
旧国幣中社
別表神社
創建 (伝)和銅7年(714年)
本殿の様式 三間社流造
例祭 上社:10月10日
下社:3月10日


若狭神宮寺
所在地 福井県小浜市神宮寺30-4
位置 北緯35度27分34.8秒 東経135度46分58.7秒座標: 北緯35度27分34.8秒 東経135度46分58.7秒
山号 霊応山
宗派 天台宗
本尊 薬師如来
創建年 伝714年
開基 沙門滑元
正式名 神宮寺
札所等 若狭観音霊場 第16番
文化財 本堂、仁王門、木造男神・女神坐像(重要文化財)
椎の木(市天然記念物)


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