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全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220728丹後国一宮 籠(この)神社

丹後国一宮 籠(この)神社です。京都府宮津市にあります。現在伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、神代は「真名井原」の地(現在の奥宮「真名井神社」)に鎮座されました。その地は「匏宮(よさのみや)」と呼ばれていたと伝わります。
崇神天皇が天照大神の神威を恐れました。八咫鏡が丹波の吉佐宮に移された時に天照大神は豊受大神の供応を受けました。4年間一緒に祀られたと社伝にあります。後に天照大神は垂仁天皇時代に伊勢に移ります。豊受大神は480年後雄略天皇時代に天照大神の御食神として下宮に遷され祀られました。この宮は伊勢神宮の内宮・下宮の神様がおられましたので「元伊勢籠神社」と呼ばれております。
その後匏宮(よさのみや現在の奥宮「真名井神社」)から現神社の場所に遷され「籠神社」と名を改め、またこの地に豊受大神を始めて祀った彦火明命を、8世紀初めに主祭神として祀るようになったと伝わります。
籠神社の神職は、古くより海部氏の一族が担っておられます。現宮司は82代目。海部氏とは海人族を統括した氏族で、全国に分布が見られますが、籠神社社家は丹後や若狭の海人族を統括した一族。その系図は日本最古のもので国宝です。始祖彦火明命から82代の現宮司までの名が伝えられております。
このエリアは浦島太郎や天の羽衣など海に関わる神話が多く伝わっております。日本三景の天の橋立は神代では神と人が天と地を行きかう架け橋だった伝わります。このエリアは古代から大陸との技術の流入や交流により強大な海人族の勢力がおり、「大陸」と「ヤマト王権」との架け橋の地でした。この海人族が大陸とヤマト王権と積み重ねた交渉・歴史の記憶が、籠神社の神威に繋がっていると強く感じた参拝となりました。(撮影禁止エリアが多く設定されていました。)
 
奥宮(境外摂社)眞名井神社の社号碑。「匏宮(よさのみや)」と呼ばれていたと伝わります。
主祭神は豊受大神

 
奥宮眞名井神社の石段と鳥居。その先に拝殿が見えます。その裏に磐座があります。ここから先は撮影禁止エリアです。

 
籠神社 宇治橋、一の鳥居です。

 
籠神社 神門です。

 
神門の先は撮影禁止エリアでした。本殿は伊勢神宮と同式の「唯一神明造」でした。主祭神は彦火明命。

 
国の重要文化財の狛犬です。安土桃山時代の作。

 
傘松公園からの日本三景の天橋立。左下の麓に籠神社があります。古代では神と人が天と地を行きかう架け橋だった伝わります。

 
傘松公園には海の奥宮=神の島 冠島(天火明命降臨の島)・沓島(市杵島姫命降臨の島)の遥拝所があります。冠島・沓島共、神域になっております。

 
右の島が冠島(天火明命降臨の島)。左の島が沓島(市杵島姫命降臨の島)古代から神聖な島として大切にされてきました。
海を行きかう舟を守ってきたと云われます。

 
御朱印です。


以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 京都府宮津市字大垣430
位置 北緯35度34分58.13秒 東経135度11分48.01秒座標: 北緯35度34分58.13秒 東経135度11分48.01秒
主祭神 彦火明命
社格等 式内社(名神大)
丹後国一宮
旧国幣中社
別表神社
創建 不詳(有史以前)
本殿の様式 神明造
別名 元伊勢籠神社・内宮元宮・籠守大権現
札所等 神仏霊場巡拝の道第131番(京都第51番)
例祭 4月24日(葵祭)


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