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全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220416 加賀国二宮 菅生石部(すごういそべ)神社

加賀国二宮 菅生石部(すごういそべ)神社です。石川県加賀市大聖寺敷地に鎮座します。創祀は用明天皇元年(西暦585年)。全国に疫病が流行した時に宮中で祀られていた菅生石部神が勧請された事に始まるとされます。
主祭神は菅生石部神(日子穂穂出見命・豊玉毘賣命・鵜葺草葺不含命)です。菅生神・菅生天神・敷地天神とも呼ばれております。全国の斎藤家の氏神との事。中世には、一帯は北野天満宮の社領の時代があり、「天神」の通称はそこからきたものであり、現在もその名残で拝殿前に牛の像( 撫で牛)が残っております。
中世には越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮。古より16世紀半ばの正親町天皇の頃まで一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど、朝廷から深く崇敬されました。木曾義仲・足利義持・豊臣秀吉などの武将からも崇敬。前田藩においては氏神とし、長い間神社を修復したそうです。神社の夏祭を藩祭とし、三日間の中の日を仕事休めの日として、藩内に住む人々を参拝させたと伝わります。
能「敷地物狂」の舞台がこの神社です。菅生生まれの子松若が比叡山に登り、年経て故郷に帰ると、父母もおらず家もなかった。松若は敷地天神(この寺社)で説法を始めました。感激した老婆が自分のむしろ(薦)を松若に勧めます。その中に本人が母に書き残した手紙を発見。むしろ(薦)を提供したのが母と気づき、劇的に再会するという神仏ご加護の物語です。江戸時代廃曲になっていたこの能の演目が580年ぶりのこの神社境内で里帰り公演が行われ、多くの住民が感激したそうです。「実盛」はじめ多くの能の演目がこの加賀エリアが舞台になっていることを今回の参拝で知りました。
 
鳥居です。大聖寺川沿いにある神社です。

 
神門です。1825年完成。

 
拝殿です。中世には、一帯は北野天満宮の社領。「天神」の通称はそこからきたものであり、現在もその名残で拝殿前に牛の像が残っている。

 
本殿です。

 
ご神木です。

 
神楽殿。能「敷地物狂」の舞台です。

 
能「敷地物狂」の案内板です。

 
御朱印です。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
位置 北緯36度18分46.95秒 東経136度19分14.94秒
主祭神 菅生石部神
社格等 式内社(小)
加賀国二宮
旧国幣小社
別表神社
創建 (伝)用明天皇元年(585年)
本殿の様式 流造
例祭 2月10日


メモ 58