福岡県福岡市香椎宮です。創建は西暦724年と伝わります。主祭神は仲哀天皇(日本武尊の子)と神功皇后となります。
仲哀天皇は熊襲を討つためにに樫日廟という仮宮を設けたのがこの場所と伝わります。新羅を討つべしとの神託に従わなかった為にこの地で急逝。後皇后であった神功皇后が三韓征討を行い、帰国の後、樫日廟があったこの地に夫の仲哀天皇の神霊を祀る廟を建てたのが起源と伝わります。それから500年後に神功皇后ご自身のご神託により723年にご自身の廟の造営がはじまり翌年724年に完成したと社伝に伝わります。ご夫婦の両廟を併せて香椎廟と呼ばれ明治となり香椎宮となりました。天皇・皇后の神霊を祀る霊廟を起源とすることから、全国16ある勅祭社の一つであります。
皇后が三種の神宝と一緒に植えたとされるご神木「綾杉」は樹齢1800年と伝わります。杉の葉が交互に生える様が織物の綾に例えられております。
本殿裏に仲哀天皇の仮宮樫日廟の伝承地があります。夫の棺を立てかけた椎の木があり、その木の香りが漂ったことから「香椎」という地名になったと云われています。
お二人の子である応神天皇はその後八幡神として信仰される様になった事から香椎宮は「八幡様の親神様」といわれているとの事です。
朝鮮半島への足掛かりの重要エリアであるこの地での神功皇后信仰。「この地へのヤマト政権の支配強化と朝鮮半島との関わり」の歴史を考えさせられる参拝となりました。
仲哀天皇は熊襲を討つためにに樫日廟という仮宮を設けたのがこの場所と伝わります。新羅を討つべしとの神託に従わなかった為にこの地で急逝。後皇后であった神功皇后が三韓征討を行い、帰国の後、樫日廟があったこの地に夫の仲哀天皇の神霊を祀る廟を建てたのが起源と伝わります。それから500年後に神功皇后ご自身のご神託により723年にご自身の廟の造営がはじまり翌年724年に完成したと社伝に伝わります。ご夫婦の両廟を併せて香椎廟と呼ばれ明治となり香椎宮となりました。天皇・皇后の神霊を祀る霊廟を起源とすることから、全国16ある勅祭社の一つであります。
皇后が三種の神宝と一緒に植えたとされるご神木「綾杉」は樹齢1800年と伝わります。杉の葉が交互に生える様が織物の綾に例えられております。
本殿裏に仲哀天皇の仮宮樫日廟の伝承地があります。夫の棺を立てかけた椎の木があり、その木の香りが漂ったことから「香椎」という地名になったと云われています。
お二人の子である応神天皇はその後八幡神として信仰される様になった事から香椎宮は「八幡様の親神様」といわれているとの事です。
朝鮮半島への足掛かりの重要エリアであるこの地での神功皇后信仰。「この地へのヤマト政権の支配強化と朝鮮半島との関わり」の歴史を考えさせられる参拝となりました。
全国16ある勅祭社の一つ。天皇の勅使を迎えての祭儀「勅祭」が行われています。香椎宮では10年ごとに行われています。
香椎宮は八幡様の親神様ともいわれている。
参道です。
鳥居から楼門です。
楼門です。
拝殿です。
拝殿から幣殿です。
幣殿から本殿を見ております。修復中でした。本殿は724年建立、1801年に再建。本殿の様式は香椎造と呼ばれる唯一の形式。重要文化財。複雑な構造、拝見したかったです。
ご神木中門「綾杉」。神功皇后が三韓征伐から帰還した時に剣・鉾・杖の三種宝を埋め、鎧の袖に挿していた杉枝を本朝鎮護祈願で植えたものだと云われています。国家鎮護の象徴として古来より杉葉が宮中に献上されております。
古宮 筑紫橿日宮伝承地で、仲哀天皇廟跡と伝わります。香椎宮起源の地。かつては香椎廟と呼ばれ、地名となった御神木「香椎」は今もここに残ります。
仲哀天皇大本営御旧蹟碑
御朱印です。綾杉の葉が印象的です。
参拝後の夕食はあごだしの長崎おでんとエビのすりみをパンであげた「はとし」を頂戴しました。いかのすりみ揚げが特においしかったです。
あと、「ごまはまち」を、冷酒のあてにしました。
以下ウィキペデイアより抜粋
所在地 福岡県福岡市東区香椎4-16-1
位置 北緯33度39分12.50秒 東経130度27分09.72秒座標: 北緯33度39分12.50秒 東経130度27分09.72秒
主祭神 仲哀天皇
神功皇后
社格等 廟(香椎廟)
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
創建 (伝)神亀元年(724年)
(神亀5年(728年)以前は確実)
本殿の様式 香椎造
別名 香椎廟・香椎廟宮
例祭 10月29日
主な神事 勅祭(10年に1度)
メモ 157