miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20210801近江国一宮 建部大社

近江国一宮 建部大社です。滋賀県大津市神領、瀬田唐橋のたもとに鎮座します。
社伝によると、日本武尊の死後景行天皇時代の116年に、日本武尊妃・布多遅比売命が神勅によって、家族3人で共に暮らしていた神崎郡建部郷の地に日本武尊を「建部大神」として祀り建部神宮が創建されました。672年壬申の乱の時、瀬田唐橋のたもとを中心に瀬田川が激戦の舞台となりました。675年に神崎郡建部郷から当時の近江国庁近くの瀬田の大野山に国の鎮守として当時の建部神宮が遷されたとあります。755年孝徳天皇の詔により大神神社の大己貴命が勧請され権殿に奉斎され、その時に近江国一宮と定められたそうです。
源頼朝が平治の乱で源氏が敗れた後、伊豆国に行く途中で大社に立ち寄り、源氏の再興を祈願し、願いがかなったことから武門の守り神として多くの武士から長く崇敬されました。
瀬田は、東海道や東道山、平安京や長岡京・平城京などの多くの都をつなぐ重要地です。現在の高速道路においても東日本と西日本の結節点であります。皇族の英雄神をこの地に祀るのは、都掌握に必要な重要地を守り、先の東国を牽制する意味があるのかなと感じた参拝となりました。
 
 
境内前に近江一之宮建部大社の石碑があります。

 
鳥居です。

 
境内の全体の写真が掲示されていました。

 
神門です。

 
右手に見えるは拝殿前のご神木「三本杉」 755年孝徳天皇の時代に大神神社の大己貴命を権殿へと奉祀された際、一夜にして成長したと伝わります。この大社の神紋になっています。
拝殿。天武天皇の時代675年今から約1300年程前に、建部の里からこの瀬田の地へと遷し祀られました。本殿・権殿共用。

 
右から左へ拝殿から本殿・権殿と繋がって建てられています。

 
拝殿と本殿・権殿の間にある拝所

 
左側が本殿。 日本武尊が祀られています。右側は大己貴命が祀られている祀る権殿です。

 
文永七年北条時宗、第8代執権になった年の石灯籠です。現在国の重要文化財に指定されています。蒙古来襲の時代、国家安泰を祈願し建立されたと伝わります。

 
御朱印です。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 滋賀県大津市神領1丁目16-1
位置 北緯34度58分24.60秒 東経135度54分48.62秒座標: 北緯34度58分24.60秒 東経135度54分48.62秒
主祭神 日本武尊
大己貴命
社格等 式内社(名神大)
近江国一宮
旧官幣大社
別表神社
創建 伝・第12代景行天皇46年
本殿の様式 一間社流造
札所等 神仏霊場巡拝の道第145番(滋賀第13番)
例祭 4月15日
主な神事 船幸祭(8月17日)


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