miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20220928 島根県隠岐郡西ノ島町 焼火(たくひ)神社

島根県隠岐郡西ノ島町焼火(たくひ)神社です。島前西ノ島における最高峰、焼火山の8合目辺りに鎮座します。
主祭神は大日孁貴尊です。修験道が盛行するようになると霊場とされて地蔵尊を祀り、これを焼火山大権現としていました。1700年頃、権現は伊勢の内宮と同じ3座と説かれるようになり、明治以降は大日孁貴尊のみを祀る現在の形となったと云われます。
元来焼火山は神体山として容易に登ることを許さない信仰の対象でしたが、中世以降海上交通の隆盛により、航海安全の神として崇敬を集めるようになったと伝わります。社殿は山の8合目にあります。社殿は岩窟前の狭い場所に建てられています。10世紀一条天皇時代に霊火が海から岩窟に入る奇跡があり、その岩穴に社を建てたと云われます。岩穴に入りこんでいるのが本殿・手前が拝殿、それを繋いでいるのが「通殿」と呼ばれています。L字に並ぶ3棟が各々国の重要文化財です。
中世より焼火山の社寺で神仏に捧げられる燈明が夜間航海の目標としての灯台の代わりになりました。島前カルデラの淵にある焼火山のある西ノ島、中ノ島、知夫里島の島々が「防波堤」の役割を、この島前3島に抱かれる港湾が「内海」、その真ん中にある焼火山の寺社で焚かれた燈明が「灯台」の役割を果たしました。
近代的な灯台が出来る前は、航海をされる方々に寺社において神仏に捧げられた燈明が灯台になり、静かな内海であったことから、夜間、そして風待ちなど停泊を目的とした港として大変好まれたそうです。
旧暦の大みそかには現在も龍灯祭が行われております。次回は焼火神社の燈明を見てみたいと強く感じた参拝となりました。
 
 
鳥居です。島前の西ノ島における最高峰の焼火山の山中にあります。駐車場から社殿までは15分の山道で急峻ではありませんでした。

 
山の中腹にある社務所です。立派な石垣の上にあります。

 
島前カルデラの淵にある島々が焼火山をぐるっと取り囲みます。島々が防波堤の役割を、焼火山のある西ノ島、中ノ島、知夫里島の島前3島に抱かれる港湾が内海、その真ん中にる焼火山の寺社で焚かれた燈明が灯台の役割を果たしました。風待ちなど停泊を目的とした港として好まれ、焼火山がそこへの目印となったためにこれを信仰上の霊山と仰ぐようになったそうです。寺社において神仏に捧げられた灯明が夜間航海の目標とされるたそうです。焼火山に焚かれた篝火が灯台の代わりとなり航海者の救いとなったことが大きな信仰の源になったといわれます。航海安全の守護神として遠く東北三陸海岸まで信仰を集めたそうです。

 
隠岐空港にあった島前カルデラの説明パネルの一部です。

 
社殿です。山の8合目にあります。岩窟前の狭い場所に社殿が建てられています。岩穴に入ってるのが本殿・手前が拝殿、それを繋いでいるのが「通殿」と呼ばれています。L字に並ぶ3棟が共に国の重要文化財です。10世紀末一条天皇時代に霊火が海から岩窟に入る奇跡がありここに社を建てたと云われます。後鳥羽上皇もこの火に導かれたと伝わります。灯台としての役割もあり、船乗りからあつく信仰され各地に分社が建てられました。本殿と拝殿は江戸時代・通殿は江戸時代以前から存在しましたが、現存するものは明治の建築だそうです。

 
岩窟に入り込んで建てられている本殿です。

 
波止の港のある集落に1830年建立の焼火神社の鳥居があります。船乗りから信仰され、港からも焼火山を参拝しました。

 
御朱印です。別府港のフェリー乗り場の観光案所で頂けます。

 

以下ウィキペデイアより抜粋


所在地 島根県隠岐郡西ノ島町美田1294
位置 北緯36度4分24.2秒 東経133度1分42.9秒座標: 北緯36度4分24.2秒 東経133度1分42.9秒
主祭神 大日孁貴尊
社格等 旧県社
創建 伝 一条天皇朝
本殿の様式 一間社流造銅板葺
別名 隠岐の権現さん
例祭 7月23日
主な神事 龍灯祭(旧暦12月大晦日)


メモ 195