miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20230310 奈良県高市郡明日香村 於美阿志(おみあし)神社

奈良県高市郡明日香村に鎮座します於美阿志(おみあし)神社です。帰化系氏神集団で大陸の進んだ製鉄技術を伝えたと考えられている東漢氏(やまとのあやうじ)の氏寺「檜隈寺」の跡地に建つ神社です。主祭神は15代応神天皇の代に百済から渡来した東漢氏の氏神である阿知使美(あちのおむ)と妻神です。東漢氏は詔で明日香村檜隈の地を賜ったといわれます。社伝では居住地跡とされます。
4世紀から7世紀の朝鮮半島では戦乱が相次ぎそれを避けて多くの人々が日本列島にやってきたと云われております。応神天皇は中国へ最初に遣いを送った倭王「讃」だったともいわれ、渡来人を積極的に登用したと伝わります。
檜隈寺は7世紀後半に金堂そして後に講堂や塔建立されました。境内には平安時代に建立された十三重の石塔「石塔婆」があり国の重要文化財です。現在は一部損壊し十一重となっております。江戸時代には境内は荒廃し、この石塔がぽつんと立っていたと云われます。
明日香村のキトラ古墳と同じ丘に立つ於美阿志(おみあし)神社。東漢氏のこの地での存在と歴史を感じさせる参拝となりました。
 
於美阿志神社は明日香村のキトラ古墳と同じ丘に建てられております。鳥居から見る境内です。

 
拝殿です。

 
拝殿にある扁額です。

 
拝殿奥の本殿です。2000年になって再建されたそうです。

 
境内に立つ「石塔婆」です。境内には平安時代に建立された十三重の石塔は建てられた「石塔婆」があり国の重要文化財です。現在は一部損壊し十一重となっております。檜隈寺は7世紀後半に金堂そして後に講堂や塔建立されましたが、江戸時代には境内は荒廃し、この石塔がぽつんと立っていたと云われます。

 
境内社です。祭神はわかりませんでした。

 
この丘のむこうにキトラ古墳があります。古代からの営みを感じさせる丘です。御朱印はいただけませんでした。

 
以下ウィキペデイアより抜粋
 
所在地 奈良県高市郡明日香村東漢氏594
位置 北緯34度27分23秒 東経135度48分8秒座標: 北緯34度27分23秒 東経135度48分8秒
主祭神 阿智使主神夫妻二柱
神体 木造座像
社格等 式内社(小)
旧村社
創建 不詳(宣化天皇の崩御直後か)
本殿の様式 流造銅葺
例祭 10月9日
 
メモ 163