miyajundesu blog

全国一宮、各県有名寺、日本100名島の巡回の日々。自分を見つめるための少し長い旅。楽しみです。

20230804能登国二宮 伊須流岐比古(いするぎひこ)神社

能登国二宮 伊須流岐比古(いするぎひこ)神社です。石川県鹿島郡中能登町石動山に鎮座します。標高565mの石動山は古名では「いするぎ」と呼ばれ、古くから漁民や農民の信仰を集めた神社があり、延喜式に記載された式内社に記された「伊須流岐比古神社」に比定されてきました。古代末から中世にかけて能登山岳信仰「いするぎ信仰」の拠点地です。「古縁起」によると崇神天皇6年に方道仙人が開山し、717年大礼殿が造営されたと伝わります。主祭神は伊須流岐比古神で製鉄・鍛冶の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)とされ、この山の徳を護るために山にしずまったと云われます。石動山は古代末から中世にかけて、神仏習合の霊場として白山に次ぐ修験道の拠点となり、その信仰は南北朝期に最盛期を迎えました。江戸時代の由緒書には南北朝時代には360坊宗徒3000人を有し北陸地方の有力な寺社勢力を形成したとあります。
相殿神として、白山比咩神が祭られております。加賀白山から能登石動山への戦国時代での信仰の一体化のアプローチのなごりとされます。伊須流岐比古神を虚空蔵菩薩、白山比咩神を十一面観音を本地仏とし、またイザナギ・イザナミとしても扱われてきたとも伝わります。
1582年前田利家と佐久間盛政により全山の焼き討ちに遭いましたが、朝廷からの再興の論旨によりその息子前田利常が本殿「大宮」を再興しました。
霊山信仰・神仏習合の霊場の拠点地であった石動山。伊須流岐比古神への信仰の長さ・深さと、石動山の神域を強く感じる能登国二宮参拝となりました。
 
 
鳥居です。ここまでの石段は少しきついものがありました。

 
境内の様子です。神域だと感じる雰囲気でした。

 
 
拝殿までの最後の石段です。

 
拝殿です。1701年建立。元は神輿堂でした。

 
拝殿裏の本殿に続く石段です。

 
本殿です。1653年建立。前田利家寄進。元は山頂にあった大御前本社を明治7年にこの地に移築されました。囲いがされ本殿全体の姿を見ることが出来ませんでした。

 
イワシガ池 雨乞いの祈祷場所

 
石動山天平寺の別当寺の大宮坊です。平成14年に復元されました。神社入口付近にあります。

 
石動山山中の地図です。多くの社寺の遺跡後が山中にあります。

 
御朱印です。石動山資料館で書置きを頂けます。日付も入っておりました。石動山の歴史を丁寧に教えて頂けました。中能登の旅のいい思い出となりました。

 
以下ウィキペデイアより抜粋
 
所在地 石川県鹿島郡中能登町石動山子部1番地1
位置 北緯36度57分57秒 東経136度58分16秒
主祭神 伊須流岐比古神
白山比咩神
社格等 式内社(小)
能登国二宮
旧郷社
創建 (伝)養老元年(717年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 7月7日
 
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